どちりな・度地理名

・・・ツクヅク「日本語」って、「改作語」であると思う。日本現地発祥のオリジナルな「日本語」があったとは思えない。最初から原住民はいなかった。もちろん、日本には時間をかけて四方八方から渡りついたのだろうが、「アダムとイヴ」がアフリカ中南部で発祥したのなら、その位置からはアジア大陸の東へ、東シナ海の南方からは東北へと向かって「日本列島」に到着した。時代を経て何度も何度も波状的に。そして「バベル」で混乱した言語は最終的に「日本列島」に集合し、合体した・・・「理屈・理論」で「コトバの体系」の始原を考えれば、言語自体が元々「母音単音」の「一音のア・イ・ウ・エ・オ」の「二音、三音、四音、五音」の組み合わせだったのではないか・・・しかも、「人体語」と、それに附随する対として二つの左右上下の「外的器官」である・・・「かアらアだア(体・身・躯)・あたアまア(頭)・かアみイ(髪)・かアほオ(顔)・みイみイ(耳)・めエ=まア(目)・はアなナ(鼻)・くウちイ(口)・はア(歯)・しイたア(舌)・くウびイ(首・頸・頸)・のオどオ(咽・喉)・うでエ(腕)・てエ(手)・ゆウびイ(指)・つウめエ(爪)・むゥねエ(胸)・ちイちイ(乳)・こオしイ(腰)・はアらア(腹・胎)・へエそオ(臍・毘)・しイりイ(尻)・まアたア(股・又)・ほオとオ(陰)・まアらア(陽)・たアまア(玉)・もオもオ(腿)・あしイ(足・肢・脚)」・・・そして、せいぜい「名詞・動詞」は「二音単語」で、その組み合わせである。
ーーーーー

 ・・・以下にブログ辞典から抜粋した添付・・・



 まろうど(客・賓・客人)とは、

 「まらひと」の音変化

 古くは「まろうと」

 訪ねて来た人

 きゃく

 きゃくじん



 観兵の間に設けたる

 夕餉に急ぐまろうど、

 群立ちて

 ここを過ぎぬ〈鴎外・文づかひ〉



 まろうどい(客居・賓居)

 客を通す座敷、客間



 「まらひと」の転

 近世まで

 「まらうと」

 よそから訪れる人

 客・客人・まれびと



   ↑

 「まれ」とは「稀・希」の漢字が当てられている



此の敬ふべきまるどの為に

 辛くも一条の道を

 開けり(金色夜叉・紅葉)



 労働などで疲れているさま

 being tired from labor

 EDR日英対訳辞書

 使用者との雇用関係を継続したまま

 労働組合の業務だけを行う人

 a person who carries out only labour union duties while continuing an employment relationship with an employer

 EDR日英対訳辞書

ーー

 「門客神」とは、神社の門に置かれた

 「客人神(まろうどがみ)」のことで、

 「客人神」は地主神がその土地を奪われて、

 後からやって来た

 (日本神話に登場する)

 神々と立場を

 逆転させられて、

 客神となったと考えられている。

 Monkyakujin means 'Maroudogami'

  (guest god)

 placed at the gate of the shrine and

  'Maroudogami' is

 usually the local god

 whose land had been taken away

 by the later gods

 that feature in Japanese myths

 and is placed into the inferior guest god position.



 日本人の苗字

 客、真浪



 丸い

 まるい、まろい

 「円い」とも書く



   ↑

 ボクの従姉の娘の名前は「円(まろか)」と付けられた



 (1)(形容詞)

  丸い usu.

   refers to ball-shaped,

   and

   円い

   to disc-shaped objects) round

  circular; spherical

 (2)(対訳)

   harmonious; calm



 まれ物

 マレモノ

 rarity

 麿

 まろ

 麻呂とも書く

ーー

 (1)文法情報

  (代名詞)(古語)

   I・me



 愛とは目合→「マグ合う」である



 (2)文法情報 (名詞)

   対訳

   (person having)

   thin or shaved eyebrows

 (3)文法情報

  (接尾辞)

   対訳

   (also 丸)

  affectionate suffix

  for names of young men or pets

ーーーーー

 ・・・以下は

 国際交流の作法

 ―<元祖?>

 帰国子女

 Noriの

 異文化体験奮闘記―147話

 から勝手に抜粋させてもらった参考記事の添付です。

 ・・・申し訳ない・・・「まろうど」でした・・・ゴメン・・・

 原文は

  ↓

http://d.hatena.ne.jp/nori_catalyst/20111106

ーー

 「まろうど」とは

 古代『日本書紀』の

 神代下第十段に

 その初出

 海幸山彦神話のなかで、

 このときは

 「一人の貴(よき)客(まらうと)」

 という表現になっている。

 『日本書紀』全巻をつうじて

 「まらうど」は

 「客(まらうと)」と記されている。

 一方時代が経ち

 『続日本紀』においては

 朝鮮半島との交流が盛んになったり、

 また朝鮮半島が

 半島内の国々で

 対立して戦火を交えるなどが

 頻繁におこり、



 王族をはじめ、

 その官僚や

 技術者集団などが

 大量に日本に亡命してくるなどして、

 そのときは

 百済の賓客(まろうど)、

 新羅の客人(まろうど)、

 また

 蛮人も

 「まろうど」と

 記されいる。



 当時

 「まろうど」よばれた人々は

 所謂

 「渡来人」で、



 その時、

 日本にさまざまな

 新しい知識や

 最先端の技法をもたらしてくれ、

 歓待されたことが

 この書からもわかる、



  ↑

 「款待」されたか、どうかは、「?」

 「この書」はダレが書いたのか・・・



 また戦乱を逃れて

 我が国来訪してきた人々は

 土地が

 あたえられ

 課税も

 一定期間免除されている。

 その代表的な例が

 埼玉県の高麗である。

 今でもそのなごりを

 高麗神社などという

 史跡でとどめている。

 この「まろうど」は



 神話の世界では

 「まらうと」という言葉で

 神としてあつかわれている。

 言葉というものは

 時代の推移とともに

 転訛するものであり、

 「まらうと」は

 「まろうど」と

 転訛していった。



  ↑

 では、

 「まろうど」とは

 「神」であり、

 「高麗人」であるな。



 その代表的例が

 広島県の

 厳島神社であり、そこには

 「客社(まろうどしゃ)」がある。



  ↑

 なぜ、

 「いつくしま」が

 「厳島」の漢字が当てられているのか?

 「厳(きび)しい」の同音は

 「吉備・驥尾・黍・機微」であるが、

 「黍団子」は「桃太郎」の

 「携帯食=軍兵携帯食料」であった。

 当然、「平家」の「祭神場所」であった。

 イヌ、(犬・狗・戌→ジュツ=述)

 キジ、(雉・木地・生地→キジ=記事)

 サル、(猿・援・沙流・然る・去る・申→申す)

 に配ったのである。

 「厳島の戦い」とは

 「毛利」氏と「陶」氏の戦いであった・・・

ー 

 つまり海のかなたより

 神が来訪するという伝統的な

 「来訪神」信仰にもとづいているのである。

 さて時代の変遷とともに

 言葉の意味も変質し

 「まろうど」は

 元来の

 「神概念」から

 日本人とは

 「異なる遠来からの貴い客人」という意味に

 変容していったのである。



  ↑

 軒下を貸して母屋を「乗っ取られた」のだ

 のっとる=「則る・法る」



 そしてこの言葉がいまでものこっているのである。

 この

 「まろうど」はさらに

 転訛をし、

 また意味も変容し、

 平安時代の

 『源氏物語』では

 「自分とは

  異なる

  他の人(あだしびと)」の

  意になっている。



  ↑

 「他人」が、なぜ、

 「アダしヒト」なのか?

 「仇・空・徒・婀娜・阿拿」し、

 「ヒト」

 「仇しヒト」である。

 ・・・仲居であった阿部定が1936年5月18日に東京市荒川区尾久の待合で、性交中に愛人の男性を扼殺し、局部を切り取った事件。事件の猟奇性ゆえに、事件発覚後及び阿部定逮捕(同年5月20日)後に号外・・・

 ・・・「愛のコリーダ」って「大島渚」の監督映画だったが・・・「現存古事記」にも「アダ」のコノ名前が登場する「崇神天皇記」の「吾田(アダ)・阿田」は「武埴安彦(タケハニヤス)」の妻だった・・・崇神天皇十年九月甲午(九日)、「武埴安彦命」とその妻「吾田」媛の謀反、「大彦命」が「武埴安彦」を討ちとり、「吾田」媛は「吉備津彦命」が討って鎮圧。その後「大彦命」は北陸平定、天皇十一年四月己卯(28日)に帰命・・・

 ・・・「古事記」で「大彦命」は、北陸平定後に同じく四道将軍の一人で東海地方を平定した子の「建沼河別命」と合流した場所が「相津(福島県会津)」であると、「会津」の地名由来を記している・・・これは「戊辰戦争」と重ねている・・・



 そして中世の

 『徒然草』では

 「まろうど」は

 「まれひと」と転訛している。

 意味はきわめて

 通俗的な

 「他人」という

 意味でで使われており、

 そこには

 「まろうど」の

 淪落を読み取ることができる。



  ↑

 「淪落(リンラク)」とは何か?

 「落陽」、「凋落」、「日没」

 「水没・海没」である・・・



 さらに近世になると

 ポルトガル人の来訪があり、

 いわゆる

 「南蛮貿易」がさかんになり、

 それにともない

 耶蘇教(キリスト教)の



   ↑

 キリスト教→景教・基督教・切支丹・天主教



 布教がみとめられ、

 聖書の

 邦訳

 『ドチリナ・キリシタン』が出版された。



  ↑

 「ドチリナ」の意味は?

 ドチリナ=教本・英語でドクトリン

 近世初期にイエズス会によって作成された

 カトリック教会の教理本

 ポルトガル語で

 Doctrina Christã

(現在の表記 Doutrina Cristã)

 ラテン語で

 Doctrina Christiana

 日本刊行の「ドチリナ・キリシタン」

 刊行年・刊行地共に不明の国字本

 「どちりいな・きりしたん」

 天正十九年(1591年)に

 島原半島の

 加津佐で刊行されたとも言われる

 文禄元年(1592年)発行

 天草版ローマ字本

 慶長五年(1600年)発行

 長崎版ローマ字本

 同年発行の長崎版国字本

 長崎の町年寄であった

 後藤宗印により刊行

 「どちりな・きりしたん」の

 四種類がある

 ローマ字本

 ヨーロッパ人の日本語学習のため、

 国字本は日本人信徒の教理学習用として編纂

 問答体の平易な文章

 天正十八年(1590年)

 二度目の来日の

 アレッサンドロ・ヴァリニャーノが

 ヨーロッパから持ち込んだ

 活字印刷機により他の数々の書物と共に印刷

 ドチリナ・キリシタン

 キリスト教が来世における救済の教え

 デウスの十戒の

 第四の掟で、

 「父母に対する孝行」を

 「主人・司たる人(主君や領主)に対する忠誠と服従」と

 敷衍して規定

 1540年代にインドで布教の

 フランシスコ・ザビエルが

 布教地域の住民のために問答体の教理書カテキスモを作成

 日本人アンジローに

 教理書を日本語に翻訳させた

 日本の宗教事情を考慮して

 仏教用語を多く借用

 来日後に仏教用語を

 払拭した改訂版を作成

 ガスパル・ヴィレラが上京した当時、宣教師が日本で用いていた

 ドチリナ・キリシタンは、

 弘治二年(1556年)

 来日した

 インド菅区長

 メルシオール・ヌーネスが、

 ザビエル作成の教理書を全面的に改訂

 バルタザール・ガーゴ神父に

 新たに編纂させた

 25章からなる

 「二五ヶ条」と呼ばれる教理書であった

 ルイス・フロイスが

 永禄十一年(1568年)当時

 畿内布教のために使用した

 ドチリナ・キリシタンも、

 日本語に翻訳されていた

 ヌーネス編纂の

 教理書であった。

 ポルトガルのイエズス会士

 マルコス・ジョルジュが中心となって、

 子供を対象にした

 対話式の教理書「ドチリナ」が作成

 1566年に

 リスボンで上梓

 海外布教に従事するイエズス会士に使用

 永禄十一年(1568年)に日本にももたらされた

 このドチリナが日本語に翻訳された後、

 日本の実情に即して

 成人向けに編纂し直され、

 写本となり日本各地で使用された

 この写本は、

 国字本「どちりいな・きりしたん」が印刷されるまで

 約20年間使用された。



 『新約聖書』の

 初の日本語版であるが、

 かなり精度の高いものとなっている。

 (岩波文庫として復刻版がでている。)

 このとき日本人への布教のために

 宣教師が

 日本・ポルトガル辞典を作成した。

 これが

 『日葡辞典』である。



 「ポルトガル」の漢字名は

 「葡萄牙」 

 「葡萄(ブドウ)」の

 「牙(きば・ガ)」である。

 本来は「牙」は「芽(め・ガ)」としたかったのカモだが、「葡萄酒の酔っ払いの無道」か、「ブドウ=武道・無道」の「騎馬(キバ)」の「槍(ヤリ)」を暗示させたかったのであろう・・・



 そして

 多くの日本語が

 この辞典に掲載されている。

 日本語の

 発音表記はローマ字で。

 そこでの

 「まろうど」の表記は

 「marebito」となっている。

 この『日葡辞典』は

 近世の

 日本語の発音をしるために

 たびたび学術論文では引用されている。



 「日本語の発音」も、地方、階層、職業によって、当時は色々あったハズである・・・



 以来この

 「marebito-まれびと」が

 日本語として定着し

 今日にいたっているのである。

 さてこの「まれびと」を本格的研究をしたのが、

 民俗学者の

 折口信夫(おりぐち しのぶ)博士である。

 折口は大阪の旧制中学校の国語の教員だったが

 母校の國学院大学によびもどされ、

 「古代研究」

 「国語学」

 「万葉集研究」

 「源氏物語研究」

 「沖縄学」など

 幅広く日本文化の研究をおこなった。

 また

 「釈超空」の名で歌人でもあった。



  ↑

 「解釈は空海を超える」か

 「釈迦の空を越える」である・・・

 ならば、

 この「空」を超えるものは「色」である。



 その業績から

 慶應義塾大学で教鞭をとった。

 同時に母校の國学院大学でも。

 このとき

 民俗学の先駆者である

 柳田國男も慶應義塾大学で非常勤講師で

 「民俗学」を担当していた。

 柳田は折口の大先輩である。

 が

 二人の民俗学には、

 この

 「まれびと論」を

 めぐってまっこうから意見が対立した。

 わたしはこの二人から学んだ

 松本信広名誉教授から

 「日本神話学」を学んだ。

 松本先生は若き頃

 パリのソルボンヌ大学で

 神話学をまなんでいた。

 世界の神話への博覧強記ともいえる

 講義に圧倒された記憶が今でも鮮明にある。

 さて、

 折口は

 『民俗学ー国文学の発生』で

 「まれびととは神である」と定義した。

 「まろうど」の

 現代的意義について

 以上が

 「まろうど」論の

 歴史的推移であるが、

 それではその意義は

 現在いかになっているのであろうか。

 古代より

 「まろうど」とは「客」の漢字をつかっている。

 我が国の文化には

 「遠方より来訪し

  客を神と

  同じ作法で

  歓待する習俗がある」

 1、それは日常的なケに、ある種のハレの祝祭の空間演出「まろうど」はもたらすことができる、ということがあるからである。

 2.そうしたハレの空間は閉塞したムラ社会に、なにか触媒的な変化(catalytic action)を誘発してくれるのではないか、という期待がある。

 3.また、こうした「まろうど」は異人ゆえムラにはない発想やそれにともない、ムラにはいままでいなかった人々をもたらし、あらたな祝祭をしてくれるのではないのか、という期待がある、ということがある。

 4.またこうした異人としての「まろうど」はムラの陋習やしがらみがないので、自分たちムラ人は出来ないが外部の異人なら多少の軋轢や抵抗感はあっても、人々にとって「真の変革」を齎してくれるのではないか、という期待がある。

 この代表的な

 「まれびと論」の日本の映画作品が、

 世界が注目した

 黒澤明監督の

 『七人の侍』である。

 この作品は世界に衝撃を与えた。

 戦乱の世、

 身を賭して

 野武士たちから農民を守る姿が。

 5、そして時代は過ぎ、今は21世紀である。しかも混迷を深めるリーダー不在の混沌たる21世紀である。

 そしてこの「まろうど」が21世紀の時代に、もはや日本列島だけでなく、世界の各地から真に民衆の幸せを願って行動してくれるのなら、きてもらいたい、との期待が世界各地でわきおこってきているのである。

 多少蛇足になるが、これまで知る限り、

 こうした

 「まろうど」は一種の

 「傾き者」の傾向が強い。



  ↑

 「傾き者」とは

 「歌舞伎・冠木」者のコトなのかね?



 裏を返して云えば

 「まらうと」が

 海彦山彦神話にもとづく起源をもとにしているが、

 いままさに現下の

 破局的危機に対処するためには、

 『現代の浦島太郎」のほうが



「浦島(うらしま・ホトウ)」とはダレのコトなのか?・・・「穂等・帆等・歩等」・・・「補唐」の「捕問」、「捕盗」で、「捕頭」の「補答」であるカナ・・・

ー  

 おもいきったことができるのではないか、

 と学問的観点

 (『放浪の系譜・日本芸能史』1973 至文堂)

 からも言えることなのであるく。

 とくに我が国においては。

 あえて言及するまでも無く私たちは

 「千年に一度」といわれた

 破局的大震災に襲われたのである。

 このような時期、

 「現代のまろうど」とは

 いったいどのような人のことを言うのか・・・

 あえて私見をのべさせてもらえば、それは

 「精神の浄化たる

  カタルシス(catalysis)もたらし、

  かつ、おぞましき

  カタストフィー(catastrophey)を

  超える呪力をあわせもった

 両義性を兼ねた存在の人のこと」だ、

 と思っているのではあるが・・・。

 このような人々のことを、

 我が国の文化では

 古代より

 「壽人」と称している。

 「尋ね人」の間違いではないのか?・・・ゴメン、ストーブの前でネコとマドロンでいる勝手なジィジィの「もうそう」でした・・・

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  • レイバン

    Excerpt: どちりな・度地理名 kiriya/ウェブリブログ Weblog: レイバン racked: 2013-07-05 17:03