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zoom RSS 話しの綴り方・・・和(ワ)の帝(みかど)

<<   作成日時 : 2017/05/05 00:03   >>

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 ・・・去年、随分と枝を切り落とした庭の桜の木の花が咲きだした・・・お天気・・・自転車で高速道路が通っている山の中腹の国道を走ってきたが、「天気清朗なれど風、強し」だった・・・「転記(テンキ)清朗(セイロウ)なれど、名実(なみ)、崇史(たかし)」・・・
 古代中国王朝・・・王朝名の転換・・・?・・・「王調名」の転換・・・
ーー↓↑ーー
 秦(シン)(前221〜前206)・・・なんで、「はた」?
                なんで、「太秦(うずまさ)」?
 名は
 政(セイ)(前259〜前210)
 姓は
 嬴(エイ)
 また姓は
 趙(ショウ)
 秦王政
 秦の始皇帝
 在位は
 前247〜前210
 秦の
 荘襄王(子楚)の子
 母は趙姫
 実父は
 呂不韋との説・・・「呂の不韋」・・・韋=ウェイ=倭
 ↓↑             倭=わ・やまと・ワ
                ヰ・ウェイ(中国南方音)
                ゥオー(中国北方音)
              倭=イ(人)+委(禾女)
                医(たくみ・イ)は退きの女?
       ・・・韋(ウェイ)=そむく・なめしがわ(鞣革)
            相い背くなり、舛に従ひ、囗を聲とす、
            獸皮の韋、
            以て束ねて枉戻(オウレイ)し
                 枉戻=ねじって戻す
                 枉=木(十八)+王
                   まがる・まげる
                   いたずらに・オウ
            相ひ韋背す可し、
            故に借りて以て皮韋と為す、
            凡そ韋の屬は皆な韋に従ふ
 ↓↑       「呂不韋」=呂は不韋(そむかず)
                呂はナメシガワではない
              呂=せぼね(背骨)・長い
                音楽の調子(リズム)
                雅楽では陰の調子
                𦟝骨(セキコツ)
                象形は、
                昔、太嶽は
                禹の心呂(シンリョ)の
                臣為 (た)り、
                故に呂矦に封ぜられ
                凡そ呂の屬は皆な呂に従ふ
                (説文解字)
 ↓↑           呂尚=周建国の功臣・太公望
                 周の文王に見出され、
                 武王の代に殷討伐で活躍
                 師尚父と尊称
                 斉に封ぜられた始祖
                 六韜三略の著者、軍師
              呂=青銅器などを作る材質の
                銅塊の形
                卜文・金文の字形は、「吕」
                上下を重ねる線がない
 ↓↑             吕=銅塊の形
 幼少時、
 趙に
 父の
 荘襄王と共に人質
 荘襄王の・・・荘を襄王・・・襄=高い・のぼる・高所にあがる
                 払う・払いのける・のぞく
                 とりのぞく・あがる・あげる
                 もちあげる
                 変える・変わる・移り変わる
 三年(前247)に
 秦王として即位
 呂不韋に政治を専断されたが
 成人すると彼を斥けて親政
 将軍の
 王翦・・・・・・・・・「翦=セン・矢ばね
               端を切りそろえたやばね
               きる・端をそろえてきる
 らを用いて、
 韓(カン)
 趙(チョウ)
 魏(ギ)
 楚(ソ)
 燕(エン)
 斉(サイ)=斎(いつき)
 ・・・「カンチョウギソエンサイ=巻帖疑素宛歳」?・・・
 を次々と滅ぼし、
 中国を統一
 始皇帝を名乗り、
 朕と自称し、
 天下を
 三十六郡に分けて統治
 蒙恬に・・・・「恬=心+舌=やすい・やすらか・やすんずる
           しずか・テン
           平然としている・平気でいる
           起伏がなく落ち着いている
           外のものに心を動かされず落ち着いている」
 匈奴を討たせ、
 オルドスを攻略
 万里の長城
 阿房宮
 など建設、土木工事
 焚書坑儒などの思想統制
 度量衡を統一
 東方巡狩中、
 沙丘の
 平台で病没
 ↓↑
 胡亥(?〜前207) ・・・「胡の亥」?・・・ナゼ、「胡」か?
            始皇帝は「胡人」の一族だった?
 秦の二世皇帝
 在位
 前209〜前207
 始皇帝(嬴政)の末子
 始皇帝の死後、
 宦官の
 趙高と
 丞相の
 李斯によって
 擁立
 酷刑厳罰
 趙高に政治を専断
 関東に乱が起き、
 劉邦の軍が関中に迫ると、
 趙高によって
 望夷の離宮に移され、
 脅迫されて自殺
 ↓↑
 子嬰(?〜前206) ・・・「子の嬰=みどりご=嬰児」?
 秦王
 在位
 前206
 始皇帝の孫
 宦官の趙高が、
 二世皇帝を殺害した後、擁立
 皇帝を称さず秦王を称した
 宦官の
 韓談と謀って・・・・韓の談?
 趙高を殺し、
 国力の回復を図ったが力及ばず、
 沛公・・・・・・・・沛=水(氵)+市(亠巾)
             一面に水草の広がった沼地
 劉邦に降伏
 項羽に殺害された
 ↓↑
 前漢
 ↓↑
 後漢(東漢・25〜220)
 「光武」中興期
 「明帝・章帝・和帝」期
 「安帝・順帝」期
 「桓帝・霊帝」期
 「献帝」期
 ↓↑
 匈奴・・・・・・匈奴=キョウド=郷土・強度・強弩・京戸
 ↓↑      匈=勹+凶(凵乂)・・・凶≠区→乂=品
 ↓↑       奴=女(くノ一)+又
 −光武帝(劉秀)・・・光=コウ=稿(わら文章の下書き)
            ↓↑   ↓↑
         草藁(ソウコウ)の浄書
         草藁=草稿・文章の下書き・原稿の下書き
         草ワラとは異なる、違う
         草鞋(わらじ・鞋・沓・足袋・羇)
         とも異なる、違う・・・
 ↓↑      ↓↑      ↓↑
 藁(わら)・・・草藁=ソウコウ=草稿
                 文章の下書き・原稿の下書き
 わら=藁=稲・麦などの茎を干したもの
    藁が出る=隠していた欠点が現れる
         ぼろ(襤褸)が出る
   ↓↑
   たわら=田藁→田原・太原・多原・鴫原・汰葉等
          田原藩は渡邉崋山
 俵(たわら)=イ(人)+表=ナマコ(海鼠)の別名
 ナマコ(海鼠)綱の棘皮 (きょくひ) 動物の総称、すべて海産
 体は円筒形で前後に細長く、
 前端に口と触手、後端に肛門があり、
 皮膚の中に小さな骨片が散在
 食用になるのは
 「マナマコ」など約30種類・・・?
  ↓↑
 「真名眞子(摩子・馬子・孫)」?
  ↓↑
 中国語でナマコは
 「海参(ハイシェン)」・・・滋養強壮薬、皮膚病薬
 シカクナマコ科
 種類が多く、マナマコは生食のほか、
 海参 (いりこ)
 海鼠腸 (このわた)
 に加工される
 ↓↑
 海鼠(なまこ)の季語は冬
 「尾頭のこころもとなきナマコ(海鼠)哉(去来)」
 ↓↑
 製錬した鉄・銅・鉛などを鋳型に流し込んだものを云う
 「海鼠板・海鼠壁・海鼠絞り」などの略
 ↓↑
 歴史的仮名遣いを「たわら」とする説・・・?
 ↓↑        ↓↑      ↓↑
 「古事記・上巻-六・邇邇芸命」・・・「海鼠」
  ↓↑
 邇邇藝命(ニニギのミコト)=邇(辶爾)邇(辶爾)
               藝(藝=ゲイ・藝術
                 or
                 芸=ウン・芸亭院←石上宅嗣)
命(みこと=見事)
 ↓↑      ↓↑     ↓↑
 諸魚皆「仕奉」白之中、「海鼠」不白
 「あめのうづめ(天宇受女)=猿女君」は
 小刀で
 「ナマコ=海鼠=生の子(こ・ね=鼠=ネズミ・鼡)」
 の口を裂いた
  ↓↑
 爾天照大御~・高木~之命以、
 詔
 太子
 正勝吾勝勝速日天忍穗耳命
 「今平訖
  葦原中國之白。
  故、
  隨・・・・・・・・隨=ズイ=隋=随=髄=瑞
  ↓↑         隋王朝(581〜617年)
             七歳の静帝(位580-581)を廃し
             北周の外戚
             楊堅(文帝)が建国
             元々は「随」と記したが
             宋代以降「隋」の字が用いられた?
             随所・随処
            「隋書(魏徴・長孫無忌)」は
            「隋書俀国伝」の記録で
              「倭国伝」ではない
            「邪馬台国」も
 ↓↑       都於「邪靡堆」、
       則、魏志所謂「邪馬臺」者也・・・と記録?・・・
       ナゼ、既に過去の歴史書で自明なのに、
       知っているクセニ、「記録漢字」を変えて
       則(すなわち)として
      「ことわり書き」にしたんだか・・・?
       編纂に顔師古、孔穎達らが参加し
       636年(貞観十年)
       魏徴によって
       本紀五巻、列伝五十巻が完成
       第三代
       高宗に代替わりした後の
       656年(顕慶元年)
       長孫無忌によって・・・「長の孫の無忌(己心)」
  ↓↑   志三十巻が完成、編入
  ↓↑  「ずいずいずっころばし」の唄は
  ↓↑  「お茶壺道中」についての唄だと言われているが
  ↓↑   不純異性交遊を表す戯歌・・・じゃないョ、ナッ
      「胡麻味噌」がナゼ
      「ずい・ズイ・づい・ヅイ」なんだか?
  ↓↑  「俵(たわら)の鼠(ねずみ)が
  ↓↑   米食ってチュウ」もネッ・・・
  ↓↑   改竄の意味デショ?・・・「海鼠・海参」
  言
  依賜降坐而知者。」
  爾其太子
  正勝吾勝勝速日天忍穗耳命
  答白
 「僕者將降裝束之間、子生出、
  名
  天邇岐志國邇岐志(自邇至志以音)
  天津・・・・・・・・天津=隋王朝宮殿内の「橋の名」
  日高日子番能邇邇藝命。
  此子
  應降也。」
 此御子者、
 御合
 高木~之女
 萬幡-豐-秋津-師-比賣-命、
 生子、
 天火明命、
 次
 日子番能邇邇藝命
 二柱也。
 是以
 隨・・・・・・・隋王朝
 白之、
 科詔
 日子番能邇邇藝命
 「此
  豐葦原
  水穗國者、汝將知國、
  言依賜。故、
  隨・・・・・・隋王朝
  命
  以可
  天降。」・・・天降=あまくだり=海降・・・隋王朝海軍
 ↓↑
 ・・・
 故爾詔
 天宇受賣命
 「此立御前所仕奉、
  猨田毘古大~者、
  專所顯申之汝、送奉。
  亦其~御名者、
  汝負仕奉。」
 是以、
 猨女君・・・ナゼ、「宇受女」=「猨女」なのか?は
      「宇須目・宇津目」=「渦目」は鳴門海峡・淡路島
 等、
 負其
 猨田毘古之男~名而、
 女呼
 猨女君
 之事是也。
 ↓↑
 故其
 猨田毘古~、
 坐-阿邪訶・・・「あさか・あざか・アジャカ」→朝霞・朝賀
          朝賀=律令制で元日の朝
             天皇が
             大極殿において
             皇太子以下の文武百官の
             拝賀を受ける行事=朝拝
             大化二(646)年
             孝徳天皇から始った
         「訶=しかる・せめる・カ」・・・摩訶不思議
 (此三字以音)、
 地名時、爲漁而、
 於
 比良夫貝(自比至夫以音)・・・・阿倍比羅夫←斉明天皇
 其手
 見咋合(喰い合い)・・・咋=口+乍=かむ・くう・くらう
 ↓↑               たちまち・サク・サ
               乍=ながら・サ
                 動作、作用が並行する
                 たちまち・にわかに
                 ながら・〜にもかかわらず
                 また、〜しつつ
                 たちまち(忽ち)・すぐに
                 ある物事、
                 行為が急に起こるようす
                 瞬(またた)く間に
                 アッと、云う間に
 ↓↑              にわかに(俄かに)
 而、
 沈溺海鹽。・・・・沈溺=水に溺れること・夢中になること
          海鹽=カイエン=海塩・海淵
             海援隊=なるほど、海猿(ウミザル)
 故其
 沈居底
 之時名、
 謂
 底度久御魂(度久二字以音)、・・・底度久=テイトク=提督
 其海水之
 都夫多都・・・・・・・・都夫多都=つぶたつ=粒立つ
                  塗付絶(断・建)
             あわたつ=泡立(粟立)
 時名、
 謂
 都夫多都御魂(自都下四字以音)、
 其
 阿和佐久・・・阿和佐久=あわさく=阿波策・安房作・安和索
 時名、
 謂
 阿和佐久御魂。(自阿至久以音。)
 ↓↑
 於是送
 猨田毘古~而還到、・・・猿田=エンデン=塩田・円田
 乃(すなわち)
 悉(つくす・ことごとく・つぶさに・つまびらかに
   シツ・シチ)
   悉皆(シッカイ)・悉皆成仏(シッカイジョウブツ)
   悉皆屋(シッカイや)・悉達・悉多(シッタ)
   悉達多(シッタルタ)・悉曇(シッタン)
 追
 聚(あつめる・集める・蒐・萃・輯・儹=聚集、積蓄)
 鰭廣物
 鰭狹物
 以問言
 「汝者
  天~御子仕奉耶。」
 之時、
 諸魚皆
 「仕奉。」
 白之中、
 「海鼠」不白。・・・・ナマコはイワズ
 爾
 天宇受賣命、
 謂
 海鼠
 云
 「此口乎、不答之口。」
 而、
 以
 紐小刀・・・・八塩折=やしおおり=哉詞尾御理
            ヤ+「栞・枝折・詩織・詞織」?
        の
        紐小刀・・・縫い針状のメス・匕首(あいくち)?
 拆其口、・・・「拆=ひらく・さく・やぶる・タク」
 故、於今
 海鼠(なまこ・カイソ→改組・改素?)
 口拆也。・・・「拆=ひらく・さく・やぶる・タク」
 是以、
 御世
 嶋之速贄
 獻之時、
 給
 猨女君
 等也。
 ↓↑      ↓↑      ↓↑
 「猨田毘古~」は
 「日本書紀・第一の一書」で
 天孫降臨の際に、天照大神に遣わされた
 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神
 ↓↑   邇邇芸 命(古事記)   
          ↓↑
          帝=神を祀る祭卓
            燔祭(ハンサイ)のテーブル
            生贄の動物を祭壇上で焼き、
            神にささげた・神への宴・祝宴
            ↓↑
            午餐(ゴサン)・聖餐(セイサン)
            粗餐(ソサン)・朝餐(チョウサン)
            晩餐(バンサン)
            の卓
            捧げものを置く台
            その下部に締足を加えた
            祭卓の大きいモノ
            その下に祝詞を収める器である
            サイをおいたのが啻(啇)
            それを執行しうる者は嫡
            その系譜に適(かな)うのは適
            それを攴(う)つものは敵?
            ↓↑
            神を祀るときの祭卓の形
            示は一脚の小さな祭卓の形
            帝はその下部を交脚とし、
            その交叉部を締めて安定したもの
            で、その祭卓の形
            上天の嫡祖を帝といい、
            父祖は示といった。(字通)
 ↓↑         ↓↑
 ↓↑         帝=テイ=綴(つづり)
 −明 帝(劉荘)・・・明=メイ=名・命・姪・銘・芽衣
 −章 帝(劉烜)・・・章=ショウ=証・称・抄
 −和 帝(劉肇)・・・和=ワ=倭・話・娃・環・窪・我
                劉の肇(はじめ)
 −殤 帝(劉隆)・・・殤=ショウ=歹+傷
 ↓↑           傷ついた歹(しかばね)
              若死・二〇歳前の死亡
              夭殤(ヨウショウ)
              夭折(ヨウセツ)
              弔う者のない霊
         「16才から19才までに死するを長殤
          12才から15才までに死するを中殤
           8才から11才までに死するを下殤
           7才以下で死ぬのを無服の殤
           生後3ヶ月未満で死するは
           殤とは言わない(儀礼・喪服伝)」
 −安 帝(劉祐)・・・安=アン=案・按・行
 −少 帝(劉懿)・・・少=ショウ=尚
 −順 帝(劉保)・・・順=ジュン=准・尋・淳・潤・隼
 −冲 帝(劉炳)・・・冲=チュウ=沖・注・註・抽
 −質 帝(劉纘)・・・質=シツ
 −桓 帝(劉志)・・・桓=コウ
 −霊 帝(劉宏)・・・霊=レイ
 −廃 帝(劉弁)・・・廃=ハイ
 −献 帝(劉協)・・・献=ケン
 ↓↑
 西暦88年・・・八拾八?・・・
 「章帝」が
 32歳で崩御
 10歳の
 劉肇(りゅうけい)が・・・肇=はじめ・チョウ
       崇神天皇=第十代天皇
       肇国=御間城入彦五十瓊殖天皇
         (みまきいりびこいにえのすめらのみこと)
          御「肇」國天皇?
         (はつくにしらすすめらみこと)
          御真木入日子印恵命
         (みまきいりひこいにえ)
 和帝として即位
 ↓↑
 和帝(わてい)
 後漢の
 第四代皇帝
 諱は劉肇・・・・肇(はつ)
 章帝の子(四男)
 生母は梁貴人
 平原懐王
 劉勝、殤帝の父
 幼少時は継母の
 竇太后と・・・竇=壁に穴をあけて出入りする所
          くぐり戸・あな
          穀物を蓄えて出し入れするあな
          穴蔵(あなぐら)=穴倉
 竇憲ら
 竇一族の専横を許していた
 成長するに及んで
 実権を自らの元に取り戻そうとした
 ↓↑
 和帝(わてい)・・・「ワ・和・倭・話」+「テイ・綴」
 後漢の
 劉肇
 在位は88年〜105年
 ↓↑
 和帝
 南朝の
 斉(斎・齋・齊)の・・・・斉・斎=いつき=齊・齋
 蕭宝融
 在位は501年〜502年
 ↓↑
 和帝 (南朝斉)
 南朝斉(南斉)の
 第七代
 最後の皇帝
 明帝の八男
 488年(永明六年)
 西昌侯
 蕭鸞
 と
 劉恵端
 のあいだの子
 494年(建武元年)
 隨郡王に封じられた・・・隨の郡の王?
 496年(建武3年)
 冠軍将軍
 領石頭戍軍事・・・・・・領石、頭戍?
 となった
 ↓↑
 499年(永元元年)
 南康王に改封され、
 西中郎将
 荊州刺史に任じられて
 江陵に駐屯
 宝融の同母兄の
 東昏侯
 蕭宝巻が帝位にあったが、
 重臣を殺害して放恣のかぎりを尽くし、
 人心は離反
 ↓↑
 500年(永元二年)十一月
 荊州長史の
 蕭穎冑は
 蕭宝融の同族である
 雍州刺史の
 蕭衍を盟主とする
 東昏侯打倒の起兵を計画
 蕭宝融に迫って
 蕭衍を左将軍に、
 蕭穎冑を右将軍に任じ
 12月、
 宣徳太后の令により、
 蕭宝融は
 宣城王・相国・荊州牧を称した
 ↓↑
 501年(永元三年)二月
 蕭衍が
 襄陽を出立して、東征
 同年(中興元年)三月
 蕭宝融は
 江陵で帝位につく
 蕭穎冑を尚書令に、
 晋安王
 蕭宝義を司空
 廬陵王
 蕭宝源を車騎将軍
 建安王・・・・・・・・・建の安の王
 蕭宝寅を徐州刺史・・・・蕭宝寅?
 夏侯詳を中領軍
 蕭偉を雍州刺史に任じた
 兄の東昏侯は
 建康で皇帝を称していたが、
 涪陵王
 に貶めた。
 12月
 東昏侯が殺害され
 蕭衍率いる東征軍が
 建康城を平定
 蕭衍は皇太后の令により
 大司馬・揚州刺史の任についた
 ↓↑
 502年(中興二年)一月
 和帝は
 蕭衍を
 相国・総百揆・揚州牧に任じ、
 梁公に封じた
 三月
 蕭衍を梁王に進めた。
 蕭衍による
 簒奪の準備はここに整い
 同年(天監元年)四月
 和帝による
 禅譲の詔が
 蕭衍のもとに届けられ、
 蕭衍が皇帝に即位し、
 梁が建国
 和帝は
 武帝
 蕭衍により
 巴陵王に封じられ、
 姑熟に宮を構えたが、殺害された
ーーーーー
 ・・・???・・・「和帝は武帝に殺害された」・・・これって、「天智天皇=中大兄皇子」が「天武天皇=大海人皇子」に殺害された、と云う「示唆」かも・・・

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